やあどうも。
暖かくなってまいりましたね。
でも、まだ一枚羽織っておきたいそんな気候でございますでしょうか。
匂わせという言葉はいつから一般的になったのだろう。
恐らく、自分が大学生の3年くらいだと思う。とすると何年前になるのか数えるのもぞっとする。まあ、大体そのくらいだと思うのだが、匂わせという言葉誕生以前から自分は、匂わせにあたる行為をSNSで観ては嫌悪感のようなものを抱いていた。
最近、匂わせの是非みたいな話をしたとき、反匂わせアンチ過激派である自分は非を出したが、是を出す人もいた。是を出す人に「なんで嫌なのか」を問われた時、ぞわぞわするからとしか答えられなかった自分に嫌気がさして、なんで嫌なのかを真剣に考えた結果、結論が出たので発表する。
その前に、大前提となるのが、これが自分に彼女いない嫉妬ではないことを先に伝えておく。というより、むしろ、自分に彼女がいる時の方が匂わせの抵抗は大きかったような気がする。
自分が匂わせを嫌いなのは、匂わせというのは、「他者への愛情表現に見せかけた自己への愛情表現」だからという結論にいたった。
そもそも、付き合っている人への愛情を示すなら、しっかり堂々とその人のツーショットやら名前やらを出した方が伝わる。というか、そもそもSNSに上げる意味もあんまりないような気がするけど、堂々としてるならそれは、ある意味で理性的でないことが返って純粋な感じがしていい。匂わせは頭を使わないとできないことなので、どこか理性的にアピールしているので、それを純粋なものと捉えるのは少し難しい。
それでも、上げたいのは、自分は誰かに愛されているんだということを付き合っている人以外にアピールするためで、一瞬その付き合っている人を自己愛の道具として利用しているというのは、言い過ぎかもしれないけれど、そう捉えることもできる。
つまり、外側では、その人が好きだということを表現し、視線を好きな人に合わせているように見せながらも、結局のところ、本当に向いてほしい視線はそれを羨む他者の視線と言う卑しさがどうも自分は気に入らないらしい。
26にもなって、周りが結婚するなかで、一々こんなことを気にかけているのもなかなかどうしたもんかという感じもする。万が一、ラッキーで結婚できたとしても一生こういうことを考えているのではないかと考えるとゾッとする。
そんなこんなで、今日も自己愛をブログで表現したりしてみた。
ということで、モヤモヤを解決できてスッキリした時に聞きたくなる曲です。
TWICE 「The Feels」