早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

何も起きない非日常。

それがコロナのせいなのかは、わからないが最近の自分の生活は何も起きない。そもそも、なんの感情も動かない時間を作るのが苦手なタイプなので、常に何かをしていたいという気持ちが常にある。そういった中で、日常生活はどうしても感情が動かない瞬間というのはどうしても生まれてしまう。例えば、移動中の電車やバス、謎の沈黙が長く流れる会議、あまり思い入れのない人の葬式。そんなとき、皆さんはどうしているのだろうか。

自分は、このような場面に遭遇すると、衝動との戦いを強いられる。例えば、バスに乗っている際、特段知り合いが乗っているわけでもないし、会話するのもおかしいのでみんな黙って各々世界に入っている。電車だと、対面の人の表情が見れるから、その人の感情を少し読み取れるからましなのだが、バスの場合は周りの雰囲気が読み取れず、一人取り残されたような感覚に陥る。そうすると、衝動的に自分の脳内で『今、窓開けてスマホを外に投げたらバスに乗っている人はどういうリアクションをするのだろう?』と想像し始める。そうなると、もう脳内ではそれをしてみたいという欲望と人間としての理性の戦いが始まり、とりあえずのところ理性が勝利し、バスを降りるということがしばしばである。

他にも、おしゃれな趣味で申し訳ないけれど、公園で読書をすることがある。本に集中出来ているときは、いいのだが、いざ集中が切れると周りが気になってくる。特に座っているベンチの隣のベンチに座っている人がいると再び衝動が起こる。『今、本をビリって破ったらこの人はどんなリアクションをするのだろう。』そうなると、もう手を付けれないので、帰宅するしかない。ほかの例を挙げるとキリがない。学生時代の美術の時間で飽きてくると、『今、この絵破ったらどんな雰囲気になるんだろう』とか、会議中に、『今、急に叫んだらどうなるんだろう』とか、葬式中に、『今、坊主の頭を思いっきりひっぱたいたらどうなるんだろう』とか。そういった様々な衝動が僕の脳内を渦巻きながらも、それをすると人間として終わるという理性との共存。それは、漫画にある人を殺したい欲求のある子が我慢しているあの感じに似ていると思う。漫画の彼の殺人願望は、自分にとっての突発行動願望なのだ。

ここまで書いてきて何が言いたいかというと、自分が突発的な行動をしても、それは相当な我慢が耐えきれなくなったからなので許してほしいということだ。もう24年も24時間毎日こんな衝動と戦って日々勝利してきているのだから、一回突発行動をしたくらいで変な人だとかいう判断をしないでほしい。まともな人間だから一回で耐えれている。変な人だったら理性は崩壊し、町の名物おじさんになりかねない。

そんな日常と非日常の境目を自分は今日も過ごし眠る。