早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

先天的!波長チューニングの巻

あーねむい。
こんばんちは。
眠いに少し気持ち悪いが乗っかってる気がしなくもない。そんなことはなかった。

今日は本当は早起きして生活のペースを整えるはずだったが昨日よりはましというくらいになってしっまった。そうすると明日から急にペースを戻さねばならないという風に考えると明日が思いやられる。かといって、明日も言うほど早起きが求められている訳ではないがそろそろ日常に戻りたい。日常がわりと昼夜逆転なのは、あまり言わないでいただきたいところでもあるのだが、それは別のお話。

はてさて、どうしたものか。
とりあえず、ちょこちょこ別の本と平行して読んでいた「マチネの終わり」を読み終えた。考えてみると12月の初めから読み始めたので謎に一ヶ月を懸けて読んでいることになる。
それはそうと、この作品を読んでさらに愛とは何か好きとは何かがわからなくなってしまった。この作品とは、対して関係ない話になりそうだが、そう言ったことを話ていきたい。
この小説の中に、マリアとマルタという聖書のお話が取り上げられている。簡単に言えば、イエスが訪れたとき接待のことで忙しくしていたのに対し、妹マリアはイエスの語る言葉に聞き入っていた。話を聞き入るだけの妹に姉が怒るが、キリストが話を聞き続けるのの何が悪いと叱り返すというお話だ。この話を聞いたときに最初はマルタが可愛そうに感じて不憫だという印象を受けた。しかしながらどうだろう。これを恋愛に置き換えた時に自分はどちらかというとマリアのように一緒に話をしてくれる、聞いてくれる人を求めているような気がする。一生懸命周りのことをしてくれる人というのは、ひどい言い方をすると相手がその気であればできないことではない。しかしながら、人の話をお互いに聞けるというのは、相手が、又、自分が好きなだけでは成立しない。人同士の波動のようなものが合う人でなければ会話など続かないし、続ける気も起きない人もいる。
そう考えるとマリアのようなイエスの話をしっかりと聞けるマリアの方が話を長く聞けずせっせと働くことに逃げて得点を稼ごうとするマルタよりもイエスにとっては、貴重な存在と感じたのかもしれない。この考え方めっちゃイエスを人間として扱っているのは、果たして大丈夫なことなのだろうか。
そんなことは、どうでもいい。何を言いたいかと言うと、結局恋愛というのは、波長の合う人探しで、それはまるでラジオをチューニングさせるようなものだ。復縁みたいなのを狙うことが概ね否定的に考えられるのはこういうところにあるのだと思う。一度波長が合わないという判断をどちらかが下したのなら片一方も実はどこかで波長が合っていないのを分かっていたはずだ。ただ、相手が好きという気持ちは本当なのでそれを波長が合うとイコールで考えがちになるので、必死に波長を戻そうとするが、そもそもその波長は、相手に合うものではなくってそうした行動は無駄である。けど、結局好きという感情があるので、すぐ次ともいけないのも事実なのだろう。
でも、本当は次の波長を求めなければならない。最初はそんなに好きじゃなくても、あーこの人といると一緒にいると楽だなとか心地がよいなとかきっとそういう人を最終的には選ぶのだろう。ならば、やはり今までの好きな人というのは、好きであった事実は変えないものの波長は少しズレていたのかもしれない。
んー、そうすると話しやすい人が本当は好きということ?なんだかそれも違う気がする。ただ、好きには後発的になれるが波長を合わせるのは先天的なものな気がする。
難しいなー。