早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

久しぶりに、後輩に

 自分はなんだかんだ人を集めて何かをするのが好きなタイプだと思う。しかしながら、困ったことに一段落をつけると途端に面倒くさくなる。例えば、だれかと外食をしようと誘ってお店を決めるところまでは、ノンストレスで行える。けれども、そこまで終わってしまうと、当日行くのが途端に面倒くさくなる。別に、当日行くのが嫌なわけではなく面倒くさくなる。さらにさらに、当日実際行けばそれは自分が好きで呼んだので、めちゃくちゃ上機嫌で帰り道をあるくことができる。それなのに、予定を決めて当日行くまでの期間がとてつもなく面倒くさくなるのだ。

この現象について少し考えたのだが、自分はどうやらシミュレーション癖があるらしい。このメンバーで、この場所なら大抵この話になるだろう。そしたら当日はこんくらい面白いだろうと勝手に決めつけてしまう。というよりも、自分で誘った場合は、おおよそ潜在意識的にこういう会にしたいということも含めてストーリーを作ってしまうからなお面倒くさくなるのだろう。それに加えて、大抵飲み会や食事会の場合そのストーリーから大枠は外れない。それはもしかすると気を使ってくれているのかもしれないから気を付けなければならない。

と、まあそんな自分が昨日も飲み会というか外食の予定を少し前からたてて行ってきた。例にもれず、少しの面倒くささを残しながら、予定の時間を迎える。18:30。しかし、予定していた相手は来ない。5分後、素知らぬ顔で現れて『5分は切り捨てで0分何でセーフですね。』と言ってきた。しかし、そんなことでは怒らない。これもシミュレーション済みで、彼が遅刻もするし、それを謝らないということも知っている。そして、おそらく彼も怒られないのを知っている。それが許されるあざとさがよいところでも悪いところでもあるが、不思議と周りにいる人たちはそんな人が多い。

そして、自分がよくいくお店へと向かい、適当に飲み物とお気に入りのメニューを頼んで。食事の到着を待つ。席は二時間制。そうするとご時世的にもこのお店で切り上げようというのが予定であった。そうすると、半年ほどあってないから、コロナがどうとかの話をして、少し昔話をしていたら、2時間はすぐに終わるのだろうなと推測していた。自分は、そのストーリーに乗っ取りコロナの話をしているはずが、いつの間にやら自分の遺骨は花火に詰めて打ち上げてほしいだとか、仏壇・墓とかの設定が破綻している、世界ではやっている宗教は、設定が甘すぎて今週刊誌の賞レースに応募しても佳作止まりそんな話をして1時間強が経過して、残りの1時間は、自分のNiziUランキングを当てようという話になり、そんな小遊びをやっていたら、お会計のお時間。この会で予想通りだったのはお会計の値段くらいのものだった。

そうして、帰るのかと思いきや、帰りしにほかの人どうしてるという食事中に済ましておくべき話をしていたら、いつの間にやら、ご時世的に人がいつもより少ないハチ公前付近で1時間ほど話し込んでしまっていた。

こんなシミュレーションは一切していなかった。どうやら自分のシミュレーション能力は、大したことがないらしい。これからは、予定を決めた後も少しだけ面倒くさくならないような気がする。