早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

想起!意味チャンバラの巻

おはようございます。
また別日に触れますがorbitunionのメンバー発表を楽しみに生きることが出来ていますありがとうございます。

そんなこんなで、なんですけど二月ですね。
1月チャンバラ死ぬほどできてなくて3回ですってよ。ちょっと前のブログで言ったやる気とか以前に日常生活の荒波に揉まれていると言った方がよいかもしれません。
東京に来て、チャンバラに一桁しか触れてないのって初めてなんではなかろうか?

かといって、チャンバラをやらなくなったから今までのチャンバラの努力は無駄だったかというと、そうは全然思わないですね。
てか、書いてて思ったけどチャンバラって言葉の響きダサいな。そんな事はどうでもよくって。

自分にとっての、チャンバラというのは一種才能がないものを突き詰めるとどうなるかという実験でもあったのだなと思ったわけです。
読んでいる人の引っ掛かりを失くすためにも先に結果からいうと才能があるように見せることができるところまではもっていけるという結果になりました。
才能がないといっても、それは他のスポーツがあまり出来なかったからとかではなくて、最初の方とか何をすればいいのかどういう戦い方をすれば上手くなるのか全然分からなかったぐらい才能はない。
唯一言えるのは、自分はそれを誰よりも好きだったということだ。誰よりもは嘘。でも、自分のなかでチャンバラを苦にしながらやったことはない。グラチャン決定戦で負けた次の日も精神的なダメージを負っている日でもチャンバラ自体はいつも楽しかった。今でもそれは変わらないと思う。
何が言いたいかっていうと、何やっても辛くならないほど好きなものに打ち込んだ方が下手に才能があってもやっていて苦になるものより成果があげられということだ。もしかすると、好きである必要はないかもしれないやっていて苦にならないことをとことんやり続けて能力を伸ばすことは結構大事な事なきがする。

なんか、その他にも色々と人間関係やら物事の向き合い方やら学んだことはたくさんあるのですが、30分では書ききれないのでここでは省略しよう。少しでも何のためにチャンバラをやっているんだろうと思っている人に届けばいいなとは思う。チャンバラのためにチャンバラを頑張るのではなく、あくまで自分のために。
チャンバラに限らず頑張ってることが無駄なんじゃないかと思っている人も、自分のためにやってるんだからやってることに意味を持たせるのではなく、やっている自分に意味を持たせるべきではないだろうか。

そういうことで、今日久しぶりにチャンバラから離脱した男に会うわけだが、あいつは成長してないだろうな。本当にどうかした方がいいと思う。