早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

思込!不向サラリーマンの巻

おはようございます。

また1週間空いてるわ。どうしましょ。

そんなこんなで、この1週間について少し。やっぱ好きなことをやりたくてこれをやってるんだからもっと自由に生きていこう。窮屈に生きるんで良ければ、そもそも普通の会社に入ってそこそこの仕事をすればいい。この場所にいることの意味をもう一度考え直すべきだなと思う。そのために好きなことを全力でというありきたりなオチになってしまうのはご愛敬というものだろう。

そして、思う。世の中には「サラリーマンに向いていない」という人がいるが、そういう人はむしろ向いている。なぜなら、そういう人は、自己分析ができていないから。いや、この言い方は正しくない。やりたいことが見つかっていないから。やりたいことが見つかっている人は否が応でもそのやりたいことに向かって突っ走るものだ。もしくは、それが見つかっているにも関わらずそれらをしないのであれば、もっと向いてない。ただの口先、自分は変異なもの自慢をしたいだけの糞大人だ。いずれ、夢を見つけることができたときようやく「サラリーマンに向いていない」人になれるのだろうと思う。

「サラリーマンに向いていない」というのは、人に使われるのが向いていないということだろうか?だとしたらそもそもそんな人間はいない。皆がどんな状況であれ人に使われている。社長であっても、裏を返せば部下に使われているし、会社の利用者によって使われる。フリーランスだってあまり変わらない。それに気付いていないというのならば、起業とかフリーになったところで何の意味もない。結局のところ、この世の中に、「サラリーマンに向いていない」人などはいないのだ。

そこにいるのは、「サラリーマンに向いていない」と思い込んでいる人だ。この思い込みは非常に面倒くさい。できることなら、この思い込みを捨てて普通の社会に戻るべきだ。一度その沼に足を入れれば二度と出てこれなくなる。これは、どこまでいってもかっこ悪いことだ。それでもやろうと思うなら、「サラリーマンに向いていない」道を突き進むべきだろう。

そろそろ結論めいたことを言うと、「サラリーマンに向いていない」ということで、サラリーマンの道を踏み外すのはもったいない。それに加えて、間近でみる、「サラリーマンに向いていない」という人が目指すような人は、「サラリーマンに向いていない」からではなくサラリーマンよりもやりたいことがあふれ出ている人達が多い。やりたくないことから逃げて選ぶにはリスクが大きいが、やりたいことを追うときにはリスクなど関係ない。幻影を見ず、現実を見つめ、幻想を見る。

一度、足を踏みぬいた自分はそうするしかない。

というこれまた、思い込み。人生、思い込みの積み重ね。