早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

作品批判!度量狭ループの巻

おはようございます。
お時間です。
恐ろしく眠いです。寒いです。世間は、クリスマスイブのなか、いや、イヴのなかいかがお過ごしになるのでしょうか。

はてさて、M1やら映画やらの感想を観ていますと、このネタは怒る人がいるのではないか、この内容は気分を害するからやめた方がいいなどと、空想の人物を作り上げる人のなんと多いこと。これは、もうボーッと生きてんじゃねえ!ライクアチコ!ですね。
この手の批判のずるいところは、本当は自分は傷ついてもいないのに、作り手と悲しむであろうと枠にはめられた人を同時に傷つけることだ。そのネタや作品を観て傷つかなかったのにも関わらず、そう言われたことによって傷つく人も少なからず存在する。

そもそもだ。こういう揚げ足とりをしようと作品を観る人というのは、作品を観るのに向いていない。いや、人生が向いていない。
作品を作る側は、特にネタに関しては、皆が面白いと笑ってもらおうとしている。なので、スベった時のみ批判は許されるが、皆が笑えばそれは最強のネタだ。誰も傷つけないネタみたいなのが露骨に贔屓されるが、そもそもの笑いに対する器が狭い人のネタをすることになんの意味もないし、そんな人に向けたネタは、どこか空を切る印象がある。
これは、映画や小説も同様で、何をいいたいかさっぱり分からなかったなどとのたまうやつがいるが、それはあなたの知識不足だ。その作品の背景や元となった出来事を知らずに、受け取り手を勝手に置いていったなどの批判は的外れだ。そもそも作品を楽しもうという気概で見なければ、それが楽しく面白い作品になりうることはないだろう。

最近あらゆる娯楽が面白くなくなったといわれるが、面白くなくなったのはむしろ受け取り手の我々なのではないだろうか。今だって必死に面白いもの感動するものを皆で作り上げている。にも拘らず受け取り手が必死にそれらを受け入れようとせず、むしろ、突き放そうとして観てしまえば、それは全て駄作になるのは当たり前だ。そんな度量の狭い人達の器を溢れさせようとすると、度量の広い人には、見透かされ、本当に面白くないものがそこには産まれてしまう。

つまり何が言いたいかって言うと、作者の作る義務と同じくらい受け取り手も受けとる義務があるってことでした!
おしまい!