早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

自己主張!宗政教育の巻

おはようございます。
もう一眠りしようとしたけど目が覚めたからもういいやブログ書いたろってなったから、今回は実質寝起きから30分ではない。申し訳ない。
だからといって、文書のクオリティが上がるわけでもない。何故なら何を書くか全く思い付いていないからだ。

いつもなら、起きた瞬間にパッと書くのでそれを書く恥ずかしさ的なものより先に文章が走っていくのだが、今回の場合は、変に目が覚めてるためにそんな冒険ができないという現状。お楽しみください。

あ、そうだ。すげー怒られる人には怒られそうな話をしよう。そういうことが言いたいのではないが、宗教くそ食らえ的な発言に見えないこともないようなことを言うので、宗教を熱心にしている方は講読を控えることをオススメするが、新たな価値観として読んでほしい。

第一に、基本的に自分は宗教は信じていない。しかしながら、それらに付随する芸術や映画などは好きなのでそこまで知識がないわけではない。キリスト教、仏教、イスラム教などそれぞれの考え方になるほどと思えることがあるので、その教え自体は否定的ではないし、むしろ、全宗教信者であると言えるかもしれない。だからこそ、特定の一つの宗教に拘り続ける人に疑問符がつく。
便宜上、キリスト教を例に出すがあくまでも例だとするならば、キリスト教の神様はもちろんキリストでその人(キリストを人っていっていいのか?)を皆で信仰しようよというのがざっくりとしたものだと思う。しかし果たして、そのキリストは皆同じようなイメージなのか?概ねの髪型や体格は共通しているが、鼻の大きさと位置、目の色などの細かいことまでは、それぞれ別の想像をしていることを歴史的絵画が証明してくれている。
さらにいうとキリストという一人の神が、考えているであろうと考えていることも違う。これは宗派が別れたりしていることから分かるだろう。
これでも、まだ、同じ神を信仰している仲間だというのだろうか?

自分は神を信じないわけではない。しかしながら、それは自分で作り上げた神であって、それは世間一般で作り上げられたルールを教えてくれる存在である。だから、批判を恐れず言うと、宗教を妄信的に信じる人は自分で考えもせずに人から世間のルールブックを渡してもらって世間をわかった気で、他の世間にそれを押し付けてくる非常に融通の効かない他人任せな人達だと思う。つまりね!自分の宗教は、自分で作り上げていこうぜ!人がつくったもの信じてたら、他人任せの人生になっちゃうぜ!って話なんですよ。極論なのはわかってますけどね。

あー怒られる。
キリスト仏陀アラーに懺悔。