早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

世界共通!素晴イエスタデイの巻

おはよ。
急にフランク。

はてさて、昨日「イエスタデイ」という映画をみたのですが、素晴らしいですね。なにより、ストーリーに淀みがなくて、気付いたときには終盤そして畳み掛けという素晴らしさ、こんだけ無駄のないストーリーを書けたら気持ちいいだろうなと思うほど。
そして、映像美や音楽の洗練された雰囲気や、先人たちへの尊敬もしっかり落としこまれているのもすごい。
なにより、ストーリー展開だ。まさに、ど王道のストーリーなのだが、どこか新しさを感じる言うならば、「王道のなくなった世界の王道」。
しかし、内容には深く触れないようにするが、人々が主人公に向ける視線の全てが暖かいのに、主人公自信が自分で思い悩み感動のエンディングを迎えるこの物語は、おおよそイギリス的、欧米的と言わざるおえない。日本が舞台であれば、あくまでステレオ化された日本が意識され主人公の行動を否定的に捉えなければ違和感になる。しかしながら、これは、世界的に見れば何故否定するのかという違和感を残すことになるし、日本人が見てもどうも爽快感でない。こういったことも理由で邦画はいまいち世界への評価をような気がするほどだった。
それに対して、「イエスタデイ」は、そういって煩わしさを撤廃しつつ、自己の葛藤だけで、ストーリーに強弱をつける爽快感がみていて心地がいいものとして、馴染んでいくような気がした。

結局、何が言いたいかと言うと、
日本的だとか、欧米的だとか、アジア的だとか、様々なことが言われているが、そういった文化を当てはめることは映画だけでなく、ファッションや音楽、芸能、絵画、もっと言うと、人間の行動全てを窮屈にされている。確かに、物事を形成するときにこの構成はとても楽にする。
しかしながら、人間全てがもつ心地よさを感じるトリガーは、概ね共通しており、本当に素晴らしいものは、どの時代にどの人種が見ても素晴らしいと思うはずだ。その心地よさを感じさせないようになるくらいならいくらだって文化を捨てて、世界にすり寄ることは何ら悪いこととは思えないが、どうだようか。

そんなことを感じたイエスタデイ。