早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

自由!不自由フリーダムの巻

おはようございます。
むむむ。こんな時間まで寝ててよかったのかって?今日は朝7時まで資料をまとめてそれから寝たのでまあ仕方なし。

ところで!「ひとよ」を昨日みました!
めちゃくちゃいい映画でした。
ということで、ひとよについて、構成がああだとか、映像がこうだとか言うこともできるのでしょうが30分という時間制限、あまりにも回っていない頭では、それを伝えるには及ばないのでやめておく。

この映画を見てふと考えさせられたことがある。
自由に生きるってなんだろう。
例えば、社会人の年齢になって、自分みたいに作家の仕事をしたり、芸人、俳優、バンドマンをすることは確かに端から見れば自由に生きているように思えるだろう。現に今日も、こんな時間に起きてきても誰に咎められることもなく生きていけるのだから。
ただ、こういう人たちの多くはこの職業しかできない、向いてない。とか、自由にしか生きていけない、自由に生きたい。という、おおよそ自由に縛られた不自由の中を歩いているのだ。
そんなことすらも、考えてないで生活できている人は、天才か人生全てを楽に生きてるプー太郎だ。
楽に生きることと自由にいきることは違う。
自由とは、他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえることらしい。確かにわれわれは他からの束縛は会社にしっかり勤めてる方に比べるとないのかもしれない。しかしながら、自分からの束縛を受けているのだ。

どういうことか?
例えばだ、家が貧乏で子供の頃は好きなことができなかった。家に帰ると父、母が殴ってきたり束縛してきた。だから、大人になったら俺は自由に生きるんだ!この人は、果たして自由に生きているといえるのか自由に縛られていないか?
また、こういうパターンもある。
親が金持ちで、放任主義で子供の頃からなんでも、自由にさせてくれた。兄弟がしっかりしてる分俺は、自由に生きてこれた。だから、これからも自分は自由に生きなければ!こんな人が本当に自由なのか?
果たして自由ってなんなんだろう。
本当に自由に生きてる人って、これらの他人からの影響すら受けれてない人ということになる。それってすごい孤独な人だ。
そしてやはり、回りの影響のなかでも、特に家族の影響はどんな人であれ無視できないほど、絶大なものであろう。
家族に、反抗するのも協調して暮らすのもどちらの場合においても結局家族を意識してしまっていて、家族は何であれ家族なんだと、そういうことを感じさせられた映画でした。