早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

一人称!俺僕オイラの巻!

おはようございます。
あさです。
少し遅めに寝たけれど、早起きできたといえそう。
夢の中でも、寝ようとしてたのでそろそろたくさん寝る日が必要なのかもしれないが。

ところでなのだが、一人称をどうしよう。
このブログを少し読み返してみると一人称がすべて自分で統一されている。
昔から自分は、一人称が苦手だ。男なら、僕とか俺とかが一般的だろう。特に、男子には、小学生の中盤くらいにかけて、僕から俺に一人称を移行していくキャンペーンが行われていく。そのなかで、一部は、僕に固執する人がいる。そういう人は、僕が板に付いていて違和感がないように思える。
僕は、この移行期間で非常に悩んだ記憶がある。俺の性格を俯瞰して見たときに、僕というほど真面目なイメージでもないし、俺というほど男らしいイメージでもない。しかし、どちらかを選択しないといけない。このときに、我やあっし、おいらなどの選択肢があることを知っておけば何かしら合うものを見つけれていた可能性もあるが、どちらにせよ変な一人称を使うやつを俯瞰して見たときに気持ち悪さを感じるので厳しかったと思う。

そして、私は、一人称を使わずに喋ろうとした。
あんまり周りにも気付かれていないだろうが、小学生3~5で一人称を日常会話で使ったのは、僕俺合わせても二桁に収まるほどだろう。
今は、確かに昔ほど気にすることはなく、なんとなくで僕と俺を使い分けながら話すことができている。しかし、これは朕の心が変われたからというわけではなく、周りが典型的な僕俺の使い分けを示してくれるようになったのでそれに従っているにすぎない。
現に、いまだに会話のなかで、おいらが「俺は、~~。」と言っていると、心のなかで「うーわ、俺って言ってるよこいつ」と思っているときもある。

ウチの中で、この現象の理由を追求してみたのだが、おいどんは、言葉に対して意味というものを考えすぎていて、本来ならどうでもいい一人称に意味を持たせ過ぎて、ミーの一人称が該当なしという結末をたどったのだと思う。でも、別に「俺」がそんなに、男らしいのかと考えるとたしかにそうでもないような気がしてきた。
そういえば、英語や他の言語で一人称は、男も女も一つに統一されてることが多いね。ということは、やっぱり日本の一人称には、意味があるんじゃないかとアッシは思う。

そして、それと同じ理由で、俺様は、人の名前を呼ぶことが苦手な時期があったのだがこの話とどうしてそれを克服できたかは別の機会に。


この文章を読み直してみたら、やっぱり色んな一人称がちりばめられていて非常に気味が悪いので、一人称は、意味があるというのが、ぼくちんの意見である。