つまらない解答だと自分でも思う。
「憧れている人は?」
「いないですね。」
でも、これが本音だから仕方ない。
憧れとは、理想であり目標ということに置き換えることが出来る。
この人が、自分の理想の生き方だという人はいない。
これは、そもそも自分のあまり人と同じことをしたくないみたいなダサい心が表出しているに過ぎない。ただのイキリの部分もおおいにある。
だからといって、憧れを作ること自体は悪い事ではないと思うのだが、一つ気になることがある。
憧れる=その人のマネをするということは果たして正しいのだろうか。
例えば、イチローに憧れている人が、イチローの打ち方をマネすることは正しいのだろうか?もっと大きく、イチローのように長打よりも打率を残すようにすることが果たして正しいのだろうか?
そもそも、憧れられる人は、自分で道を切り開いた人が多いし、そういったところが直接的に憧れの対象とされる所以でもある。
その人を真似ることは、その人達に憧れた根本の自分独自の形で道を切り開いたという点と逆行しているように感じる。
さらに、もっと言うとその憧れ方の場合、自分は憧れの人の劣化にしかなりうらない点も問題だと思う。憧れの人は、自分で自分に合う形にしたから、自分独自の形を作り上げたはずだ。それをそのまま真似ると憧れの人と全く一緒の考えや体ではないからどこかに不具合が出る。それを憧れているからという理由だけで真似ているだけでは上手くいく訳がない。
それは、憧れているということを盾に自分で考えるのを放棄しているに過ぎない。
本当にその人を憧れているのであれば、その人の考え方や姿勢は見習いつつ、その人といつか肩を並べるように見た目は全く別の形になっても自分独自のものを作り上げる必要があると思う。