早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

大晦日!完走パラサイトの巻

おはようございます。
早起きの権化です。

はてさて、「パラサイト半地下の家族」を昨日の宣言通り観てきましたよ。いわゆる映画納めというやつでございます。
内容については、ネタバレ厳禁らしいので伏せておきますけど、そんなに言うほど回収が美しい系でもないのにどうしてそんなに念押ししてくるのだろう。もしかして、自分がなにかしらの伏線に気付けていないのか?と思って不安になるので、この宣伝の仕方はいまいちかななんて上から目線をかましてみます。
とにもかくにも、内容は面白かったのですが、やっぱりこういう系が好みじゃないなー。ただただ暗く終わっていくみたいな。いや、確かに救いを少し作ってはいるけどそういうことじゃなくて、泣けるけどワクワクする涙じゃないのが苦手なんですよねー。こういう系が面白いというのも分かった上でなんですけどね。シングルマンとかも好きですよ。
でもね、やっぱり笑って泣けるのが一番なんじゃないかと。
しかしね、君。この映画は、そうじゃなくて韓国社会の実状をだね。とあなたは言うでしょう。でも、そこなんですよ。この映画、たくさんの賞を取るのではないかと言われてますけど、「万引き家族」のときも少し思ったのですが、アジア映画はアメリカやイギリスなどの欧米諸国に「あっしらは格差ひどいでげすから。えへへ。」と腹を見せないといい映画と評価されないのか?笑って泣ける作品では、評価されないのか?そういう気持ちになるのがなんだかいやだなあなんて、どこの目線から言ってるんだって感じですけど思ってしまうわけです。
それにですよ、韓国の実状といいますけどね。そんなものは、本を読めば分かるし、もっと言えばドキュメントじゃないと伝わらないでしょう。フィクションでこれが実状だ!ってやったところで作り手は、どれだけ言ったって結局裕福側の人間であることに変わりないんですよ。金は満足にないかもしれないけれど、好きな映画を撮れるだけで、あなた達が描く貧困層の人達は羨んでいることが分かってない。昔、そういう状況で暮らしていて今はそれなりに脱け出したという人も確かにいるかもしれないが、それは結局のところ今を描くには少し弱い。そこら辺のホームレス連れてきて映画撮らせる以外に実状を捉えるのは無理なのではないかと思ってしまうわけです。
では、そういった人達に私たちは何をするべきか? お金をばら蒔けばいいのか?そうではないけど、そうだ。お金がある人に楽しんでもらえるような作品を日本でも韓国でもたくさん作って、たくさんお金をもらってそれを貧しい人達に分配する。それこそが本当の貧困救済なのではないか。正当にお金を裕福な人から奪い(そもそも娯楽作品に本当は価値などないから)、貧乏な人にわたす現代のネズミ小僧になるべきなのではないだろうか?

みたいな酔いどれ文章を書いていると非常に痒くなるけれど、いずれ若気の至りだと笑って読んでくれる自分がいてくれるのならそれはそれでいいのかもしれない。自分で書いていて途中で恥ずかしくなることもしばしばだが、熱を出したり、徹夜したりした時以外は、無事今年まで、ブログを更新出来たことに自分でも驚いている。本来どんな理由で、書き始めたのかなど忘却の彼方にあるし、ルールなども初期はもっとしっかりしていたような気がするが、今ではなるべく30分くらいのゆるいルールになっているし、このブログを書くモチベーションはすでに0に等しい。にも関わらず書き続けるのは、もはやルーチンワークに組み込まれつつあるので、どんなに書くことがなかろうと、書きたくなかろうと書かないと気持ち悪いという領域に突入しつつある今日この頃の感情のせいであろう。
2019年新たな人生の縛りをまた作ってしまったが、何かがきっかけで辞めるかもしれないし、読者側も肩肘に力をいれず観ていておくんなまし。
それでは、皆さん2020年もお会いしましょう。


晦日、来年の目標とか書きたかったのに忘れてた