早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

尊敬!世界一周マラソンの巻

おはようございます。
最近信じられないくらい、以前と比べて目覚めがいいのは、このブログ書かないとという気持ちの強制がそうさせるのか。
と思ったけど眠気はあるので、関係ないのかも。
他に被験者がいないので真相は闇のなかである。

と。ここまで書いてなにを書こうか非常に悩んでいる。厳密にいうと書きたいことはあるのだが、それを書く気分にならないといいましょうか。その感情を引き立てさせるような外部要因をまとめられる自信がないといいましょうか。でも、そんなことも言ってられないしなと思う自分もいるわけです。通常のブログであったら恐らくこの段落は、カットすると思いますが、全て残しておかないとリアルじゃないし、何よりも文章量が少なくなっちゃうので残しておくのです。

と。まあ、このブログならではの、苦しみがあるのですが、恐らく読み手には関係ないことでしょう。そう、経験しないと尊敬のしようがないよね。いや、この書き方だと、まるで尊敬してほしいみたいになっているが、今日は格段に本題への接続が下手なだけなのでその点は気にしないで欲しい。
とにもかくにも、経験していないことは尊敬できないということだ。
大きく、世界一周マラソンとか不治の病を治したとか言われると「すごい!」と漠然とした気持ちで尊敬できる。こう言っといてなんだが、この「すごい」の感情は尊敬と呼べるのかもいささか疑問なところはある。
そもそも、尊敬とは、辞書が言うには、他人の人格や行為を高いものと認め、頭を下げるような、また、ついて行きたいような気持ちになることらしい。そう考えると、まあ世界一周マラソンとかも尊敬に入るのか、、、。でもなんだか腑に落ちない。

なぜ腑に落ちないのかというと、世界一周マラソンを自分をしたことがないので、どのくらい大変なのかを知らないので本当の意味での尊敬の念ではなく、みなし尊敬みたいなそういった感情でしかないと思ってしまう。
自分に置き換えれば、中学時代野球をしていて、高校時代自転車をしていたのでそれらをトップレベルと言わずとも、職にして食べていける人たちのすごさをひしひしと感じるので全員心から尊敬している。
さらに言えば、今の仕事をしてから、娯楽を作るのにどれ程の時間がかかるかを実感する度に、3分のコントを作る人、成立している番組の企画書をかいた人、動画を尺内に編集しきる人それぞれがどれ程の労力と時間をかけたのかひしひしと感じることができるので尊敬するし、さらに言えば、この実感はまだまだ浅いものであるように感じるので、これからも尊敬が深まるような気がして嬉しいやら悲しいやらである。

このように、自分は経験したことに対してしか本当の尊敬ははらえないような気がしているのです。
だから、外野から尊敬が足りないような言葉をやいのやいの言うしかないネットの民みたいな人をみると「あーー、この人は人生経験が足りてないんだかわいそう」と思ってしまうんだなと書きながら理解した。それだけで、今日もこのブログを書けてよかったし、これからも色んな人生経験をして、このブログの種にしていこうと思った。以前にも話したし脱線ぎみでもあるが、こう言うこともあって、褒めることができる人は、周りを尊敬できるということでもあるから、様々な体験をしてきた素晴らしい人だと思う。そんな人になりたいので、自分は人の褒められるところを探すようにしている。

今日も書いていてすっきりしたが一つすっきりしないことがある。
世界一周マラソンてなに?