早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

悲観!楽観コロナの巻

こんにちは。

聞いてください。今日は早起きして書こうとしていたんです。

でも、なんか気付いたらこんな時間になっていたんです。

信じてください。

 

まあ、そんなことは置いておいて、緊急事態宣言が解かれて約1週間といったところでしょうか?皆さんの生活はいかほどに変化しているでしょうか?

早くも外に飛び出しお酒や食事を仲間と楽しんでいる人もいるのではないでしょうか?これは良くない行為だとは思うんですけど、自分の気持ちと照らし合わせて、自分はもうちょっと我慢できるので我慢しとくけど我慢できない人がいるんだったらそれでいいかなという意見です。

しかしながら、世間では、行き過ぎた場合は自粛警察とも言われる、外出することに対してマイナスの感情を抱く方がいるわけです。それは事実として存在します。そして、その人たちの気持ちも理解できるところがあります。

 

その上で、思うのです。コロナは人に気づかいまで忘れさせてしまったのかと。

正しくは、もともといた気の使えない人々が世に表出される、トリガーとしてコロナウイルスというものが現れたのだと思います。

 

SNS上で最近見かけるようになった、平常時であれば載せないであろう居酒屋のつまみと安酒の写真を投稿するバカ。先ほど書いたように、行くことには何の問題もない。それは各々価値観。けれども、その写真をあげることで我慢している人たちがどう思うのかを想像できないってのは、あまりにも想像力がかけるのではないか。

そして、そういった人に限ってやたら平常時に匂わせ写真に厳しかったりする。お前のやっていることは大して変わりないんじゃないのか?と思う。

自分はどちらも理解できないので好きではないが。匂わせ写真は書くと長くなるので置いておくと、今回のそういった飲み会写真?みたいなのは、本当にあげなくていいものじゃないですか。それを観てプラスな気持ちになる人が自分には想像できない。わずかに、一緒に飲みに行った人がプラスな気持ちになる可能性もあるが、ならグループLINEなりに貼ればいいだけのことだと思う。

 

というところまで書いて思う。そもそもSNSに必要な投稿なんてないんじゃないかと。

てか、何が楽しいんだって思ってきた。それをめーーーっちゃ長くして書いているこのブログが一番意味がない。でも、自己満足のために書いている。

きっと、そういう人達も自己満足のために投稿してるんだろうな。それは分かってるんだけどね。なんか配慮してほしいなって話。

あまりにも、見たくないものと見たいものが一緒くたにされているよねSNSって。その分ブログというのは、題名をみてワンクリックする労力がある分必要最低限の配慮はしているのかなという自分を正当化。

 

 

 

で、終わったら綺麗なのかなとか思ったけど、

なんだあいつ。マックの婆。お客さん全員が使うためのアルコールスプレー自分の席まで持っててシュッシュシュッシュして、明らかお前の立っている位置が悪いのに人がぶつかりそうになったら手で払いのけてやがんの。で、また腹立つのがなぜかそいつ座ったところが一番会計するところと近いの。いや、そんな気にしてるなら奥いけや。そんで、おい、一口ハンバーガー食ってそれをずっと左手で持ち続けながら10分ぐらい謎の動画見てんの。なに、どういうルールなのそれ。ハンバーガーにすれ違う人のウイルスついちゃうかもよ?そこはいいの?もうよく分かんない。

 

だから、結局、コロナに異常に楽観視してるやつも、悲観視してるやつも極端な奴はバカ!!!おしまい。

 

不良!差別コップの巻

おはようございます。
こんにちは。
もう、気にしませんよ。早起きでもなければ、30分でもない。いや、一応気を付けようとは思ってるんですけど、なんか気分が乗らないというか、個人的にはゆったり続けていくことが一番ということで好きな時間に好きなだけ書くという風にシフトしつつあるわけです。

今日書こうとしていることは、個人的には一番書くか悩んだ。こんなブログ読んでる人がいないという前提はありつつも、安易に口を出してはいけないような気がする分野だと感じるから。
ただ、それ以上にあまりにも違和感を感じる最近の流れをどこかで発散したいと思ったので、書かせて頂くことにした。

今、全米で大きな騒動となっているジョージフロイトさんが白人警官によって殺されてしまったことに端を発する黒人の方々のデモについてだ。
先に、前提というか自分の立場を示しておきたいのだが、自分は今回の事件(ジョージフロイトさんが殺されたそと)そのものは、非常に痛ましく許しがたいものであると考えていることを先に伝えておきます。
その上で、この事件を語るなかで感じた自分の疑問を書いていきたい。それは陰謀論者がお互いを蹴落とすために仕組まれたことなのではないかと考えているようなことでも、日本人なのだから日本の問題にもっと真剣になるべきだといったようなつまらない戯言とも違う。

誤解を厭わない言い方をするなら、差別の何がいけないのだろうか?
差別のない世界は、非常につまらないもののような気がしてならない。世の中は、差別で出来ている。
この意見が100%正しい意見ではないのは理解した上で、誰よりも誠実な意見だと自分は思っている。
黒人の方々は、今ジョージフロイトさんを殺してしまった白人とそれを組織する白人中心の組織を非難している。
これは、白人差別ではないのか?白人の中にも、ジョージフロイトさんを偲び悲しんでいる人がいるはずだ。
そして、例えばこの事件が、白人が白人に排他的感情を持つ黒人警官によって殺される事件であれば、今、声をあげている黒人達は、同様にこの警官に対して差別的だという声を挙げたのだろうか?もちろん、そういった人もいるだろうが、白人を殺したことを称賛する人さえいるのではないかと考えるほど世の流れは狂っている。
そうしたなかで、いや、僕や私は日本人だが、とてもこのような事件を許せないという人がいるだろう。
その人に問いたい。あなたは、学生時代にいじめをみたことがないのか?みたとしたら全て止めていたのか?大きなパイだから大きな問題だから便乗して声をあげる馬鹿が本当に人道上正しいのか?最も愚人ではないか?
いじめもまた、小さな差別だ。
それに、電車に乗るときに見かける身体的に不自由な人に、飲食店で出会って精神的な病の人にあなたがたは、一度も憐れみや蔑みの目でそれらの人を見たことはないのか?
もっと言うと50m走が遅いあの子や漢字テストが0点のあの子をあなたは、あなたと同じようにみることが出来ていたのか?
全部が全部小さくても差別なのではないか?
差別をなくそうってのはそういうことが出来て初めて言えることなんだと思う。

差別とは人生経験から得た様々な情報によって形成されるものだと思う。それっぽい服装をしたそれっぽい黒人は、声をかけられるのは仕方ないことなのではないか?もしそれを変えたいなら、そうならないように自分を変えていくべきだと思う。
ここで、皆は言う。変えたくても変えれないと。
そう。それが自分らしさというものだから。では、変えなくていいのではないか?ある程度受け入れるべきだ。それは、黒人だから、白人だから、アジア人だから、日本人だからとかではなく自分だから。

ただ、この事件はとても悪質だ。それは、一人の人間の命を理由もなく正しくない方法で奪ったからだ。そこに人種はない。黒人が殺されたではなく、ジョージフロイトさんが不当に国家によって殺されたということに対して抗議をあげるべきなのではないかと思う。

あと、良く知りもしねえで、ぬくぬくとしたところから、白人やアメリカを叩く奴もジョージフロイトさんを殺した警官と同じ糞しょうもないリベラル気取りの日本人差別主義者だから、自分はそういった人を差別したいと思う。

夜涼!待機メールの巻

こんにちは。
もはや、早起きとはなんなのか分からなくなってきている。
とりあえずなんとなく書こうかという気分になると書き始めると言ったような感じになってきている。

いつものように、特に役に立たないことを書いていこうと思う。
ちょっとまって。
どうだろうか。いま、本当に読むのをちょっと待った人はいるだろうか?
恐らくそんな人は、少数派だと思うが、自分はその少数派の一人だ。

『ちょっとまって。』これは主に女性が使うイメージがある。会話中に、なにかあればちょっとまって!!、好きな曲がかかればちょっとまって!!という具合に。ただ、待ったところで大したことは言わない。そんなことは分かりきっているのに律儀に待ってしまう。
そうは言っても、何かしら会話は繋がるし相手方は大抵楽しそうにしているのでそれは、それでいい。

しかし、問題なのが、文字での場合だ。メールやSNSで、『ねえ!まって!!何々なんだけど!』という返信や投稿。これに対して自分は、何秒ほど待てばいいのだろうか?そして、待った結果、大したことは会話同様いっていない。
けれども、待ってしまう自分がいるのだ。それはまるで、小学生が音読するときの読点のように頭で『うん』と一拍空けてから次の文字を読み始める。待ってといわれたからには待つしかない。
SNSで待って!という人は、自分みたいな律儀な人間の一拍分の時間を『ねえ!待って!!』によって奪っていくことを自覚してほしいものだ。

天気も良さげだしちょっとだけ運動不足解消に、外に出て散歩でもしてみよう。

ねえ!待って!!!
めっちゃいい感じの空気じゃん!
この温度と空気の肌触りめっちゃ好き!!
これを江戸時代の人は夜涼と表現したんだってめっちゃ素敵!!
土手で涼むと土手涼、橋の上で涼むと橋涼って言われるんだって!!
めっちゃ受ける⤴️⤴️

払払!店員コンビニの巻

おはようございます。

嘘過ぎる。うん。明日からは朝更新を目指そうと思うが、忙しい日々が戻りつつある今日この頃。特に起きたらやらないとってことがあることが多くてこんな時間になる。

かといって誰かにこうやって話を聞いてもらうことは大切な気がする。

忙しい中で、自分の整理として、他者に伝えるものとしてブログを残すのはいいものだ。

さあ、なにやら6月1日からいわゆるフェイズ2というやつで、運動施設や映画館、博物館系の営業が解禁されるらしい。おおよそ一人の外出では、これらの施設しか利用しない自分にとっては、フル解禁ということになるが、本当に行きたくなったらという制限をかけてこういった施設にも訪れたい。

ある程度の距離を取って、こういう施設を訪れることは、ある意味でその施設を助けることにつながるというのはいささか安直だろうか?

そう捉えられたとて、やはり自分はそう思うし、そういう免罪符を持たないと生きていけない。後、残る自粛は飲み会くらいだろうか。

 

自粛期間に入って気付いたのは、お酒が好きなのではなくて、皆でお酒を飲んでいるという雰囲気が好きなのだろうと思う。現に、5月は、試しにやってみたオンライン飲み会以外ではお酒を口に入れていないのではないだろうか?

そして、加えて余談だが、お酒は健康に悪いというのが非常によく分かるほど、快眠が続いている。

 

何だか今日は、普通の日記みたいになっているので、おまけにもう一つ最近気になることがある。それは、コンビニの店員さんのレジ対応だ。忙しさによって仕方がないのかもしれないが、あまりにも気が利かないことが多いような気がする。

例えば、ちょっと時間をきにしながら弁当とホットスナックのコロッケを買ったとする。

「お弁当温めますか?」これは普通だ。それに対して、「いりません。」。

「こちらのコロッケは常温ですが温めますか?」はぁぁぁっぁぁ?

そんなわけなくないか弁当温めないで、コロッケだけ温める人なんてこの世の中に存在するのか?コロッケ温めたい人は、弁当も温めるって普通。ほんで、それを言わなかった方が会話のラリーが減るので実質時間も短縮できるじゃんか!

それで会計ね。

「ポイントカードお持ちですか」「あ、ないです。」ここで結構急いでる感を出すために、スマホでペイペイを起動し店員さんにバーコードを表示する。

「お支払いペイペイでよろしいでしょうか?」んんん。いいに決まってるよね!?ペイペイで払いたくないのにペイペイ出すのは本当に異常者じゃん。そんな風に見えます?

「お支払い、ペイペイで失礼します。」みたいな感じでいいんじゃない?まあ、でも定型文なのかもしれないからこれはこれでいいやと我慢。

 

「ペイペイのバーコードを示すだけでは、Tポイント付きませんが大丈夫ですか?」

 

いや!さっきポイントカード持ってないって言ってるんだから、Tポイントは、いらんやん。しかも、そのTポイントカードをペイペイ上で表示するという応用技を知ってるんなら絶対に出すし。

なんで、ペイペイで早く支払いを済まそうとしたら、余計に時間がかかるのか?

そんなことを思いながらも、会計が終わったら、

「ありがとうございました。」を言える自分えらい。

掲輩!我欲BBQの巻

おはようございます。

嘘ですごめんなさい。

もう最近は、シンプルブログになってきているわけですが、最近ブログ書きたい欲が、夜に来るようになってきているわけです。

 

そして気分を変えてパソコンから投稿しようとしているのですが、なんとパソコンだと文字数表記がされるのですね。これはいいかもしれませんが、また自分ルールに何文字以内とか以上とかをつけてしまうような気がするので気にしないことにしますね。

 

そんなこんなで、コロナが、最初の落ち着きをした世の中でございますが皆さんいかがお過ごしでしょうか。リモート。在宅勤務が続く方もおられるのではないでしょうか。まあ。そんな傍ら、世間では会議もリモートでいいし、飲み会もなんていう人までいるそうです。信じられませんな。やっぱ、実際に会ってなんぼでしょう。と自分なんかは思うわけです。

だって考えてみてください。リモートBBQって死ぬほどつまんなそうじゃないですか?あー、BBQをしたい!

 

それとふと考えたのですが、自分らしさをすごく説いてくる輩がいますよね。自分らしく生きよう!あるがままでいきよう!みたいなスローガンを掲げる輩。じゃあ、果たして、自分らしさとはなんなのか?

そういった人の一例で、昔イジメられていたが社会に出て自分を押し通すことで明るくなった!というようなストーリーを展開する人がいます。そう言った人たちは、概して「明るくなった自分」を本当の自分、自分らしさとして主張するわけです。しかし、これは本当なのでしょうか?自分はそうは思いません。いじめられる人間性(それが悪いものとは仮定しない)も自分らしさの一部ではないのか?もし、それらの人間性を改善し、それらの人間性を取り除けたとしても取り除けた自分の下にはその人間性は死ぬまで眠っているわけです。それらを否定するのはいささか安直ではないか?

それは、ただの過去の後悔や苦しみを打ち消す為だけのもので、今まで歩んできたものを過去に捨て去り、あれは自分ではなかったとした後に主張する自分は果たして自分らしいのか?過去の後悔や失敗を背負った上での成長した自分を今の自分とするべきではないか。

現に、自分で考えると何年に自分と会ったかで評価が大きく変わるはずだ。

小学生時代くらいまでにあった人は明るさと暗さが同時に襲ってきた時代なので評価が割れそうだし、中学時代はいわゆる弱気な部分がヒューチャーされる気がするし、高校時代に出会った人のほとんどは暗い部分を評価するだろう、返って大学時代は、おおよそ後輩であれば明るさと強気さが芽生えた時代というか、あの人たちが言う自分らしさをアピールできる人というイメージを持っている可能性が高いだろう。

そもそも、アウトドア派かインドア派か。明るいか暗いかなどは、本当に人によって自分の評価が割れるようなきがしなくもない。

結局、自分らしさは他者が決めるものだと思うが、自分の行動によって周りから評価される自分らしさは変えることができる。だから、自分らしさは他者が決めるものであると同時に自分が決めるものであると思う。

 

つまり何が言いたいかっていうと、BBQがしたい。

手振!赤坊ブンブンの巻

おはこんばんちは。
またも、寝起きではないという。
でも、眠いから寝起きってことでいいのでは。

最近の健康法は、0時には布団に入ること。
これをすることで寝起きがスッキリしますね。
やはり人間とは夜はねないといけませんね。

そんなこんなで、少し気になることがあるんですけど。見ず知らずの赤ちゃんに手を振る人。あれはなんなんですかね。例えば、友達の赤ちゃんであれば分かるんですけど、知らない赤ちゃんに手を振るというのはなんなんですか?可愛いからとか言われそうですけど、可愛いから手を振るってそもそもなんなんですかね。

なんでこんなことをいちいち書いているかというと、手を振られた側の顔をみるといつも不憫な気持ちになって止まないんですよ。
あなたが赤ちゃんに手を振ってる間、あなたは見ていないでしょうが、手を振られた赤ちゃんの親は、苦笑いのまるで教科書のような顔をしてるんですよ。ただでさえ、子育てが大変な時期なのに、自分の可愛いものに手を振りたいという欲望をぶつけるだけぶつけて心を満たされる人の気持ちを考えたことがあるのだろうか。ないだろう。その証拠に、そういう人たちは、手を振り終わった後に、その親になんなら『振ってあげたしたよ』みたいな顔してニンマリしてますからね。

ありがた迷惑なんじゃないかなって思うわけです。
自分の子供がいないから分からんけども!
おしまい。

無能!努力ソーリの巻

お久しぶり。
おはこんばんちは。
寝起きでもなんでもないです。
そして、おそらく30分でもない。

緊急事態宣言が解除されましたねー。
そんななかでですよ。安部総理に対してあれやこれや言う人の全てが的外れに感じる今日この頃。

まず、前提として自分は、感染者という指標だけを使えば日本は医療崩壊も起きずよくやったと思います。これは政府だけではなく医療関係者の方々の尽力もありますが、まあそれを動かした(無理にでも)のは政府ですから国を一個の大きなものとすれば成功でしょう。しかし、経済面では、これから何か大逆転がなければ中々厳しい状況だと思っています。

安部総理は、失敗しているわけです。しかしながら、その方法が空回りしたかもしれませんが、頑張ってはいるように思えます。
それなのに世間の安部総理否定派は、安部総理を頑張ってないから、ずるいからやめさせるべきだと言います。それに対して、肯定側は、いや!頑張ってるよ!と反論するばかり。

お馬鹿なのか。

そりゃ、仕事なんだから頑張ってるよ。
でも、頑張ってこの結果を生み出すような人だから、辞めていただくべきなんじゃないかと私は思うわけです。

努力していたらいい社会なら、大抵の人が救われると思いますが、そうじゃない。
それなら結果を出せなかったから、辞めろってことでいいんじゃないかと自分は思います。
レストランで美味しい料理を提供できればどんなに性格が悪かろうと料理人として、認められるように、政治を上手くできればなんだっていいじゃん。
安部総理はいい人か悪い人かは分かんないけど上手く対処できなかった人ってことでいいんじゃないかなあ。それ以下でもそれ以上でもない。

なーんてことをおもいましたよ。