早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

掲輩!我欲BBQの巻

おはようございます。

嘘ですごめんなさい。

もう最近は、シンプルブログになってきているわけですが、最近ブログ書きたい欲が、夜に来るようになってきているわけです。

 

そして気分を変えてパソコンから投稿しようとしているのですが、なんとパソコンだと文字数表記がされるのですね。これはいいかもしれませんが、また自分ルールに何文字以内とか以上とかをつけてしまうような気がするので気にしないことにしますね。

 

そんなこんなで、コロナが、最初の落ち着きをした世の中でございますが皆さんいかがお過ごしでしょうか。リモート。在宅勤務が続く方もおられるのではないでしょうか。まあ。そんな傍ら、世間では会議もリモートでいいし、飲み会もなんていう人までいるそうです。信じられませんな。やっぱ、実際に会ってなんぼでしょう。と自分なんかは思うわけです。

だって考えてみてください。リモートBBQって死ぬほどつまんなそうじゃないですか?あー、BBQをしたい!

 

それとふと考えたのですが、自分らしさをすごく説いてくる輩がいますよね。自分らしく生きよう!あるがままでいきよう!みたいなスローガンを掲げる輩。じゃあ、果たして、自分らしさとはなんなのか?

そういった人の一例で、昔イジメられていたが社会に出て自分を押し通すことで明るくなった!というようなストーリーを展開する人がいます。そう言った人たちは、概して「明るくなった自分」を本当の自分、自分らしさとして主張するわけです。しかし、これは本当なのでしょうか?自分はそうは思いません。いじめられる人間性(それが悪いものとは仮定しない)も自分らしさの一部ではないのか?もし、それらの人間性を改善し、それらの人間性を取り除けたとしても取り除けた自分の下にはその人間性は死ぬまで眠っているわけです。それらを否定するのはいささか安直ではないか?

それは、ただの過去の後悔や苦しみを打ち消す為だけのもので、今まで歩んできたものを過去に捨て去り、あれは自分ではなかったとした後に主張する自分は果たして自分らしいのか?過去の後悔や失敗を背負った上での成長した自分を今の自分とするべきではないか。

現に、自分で考えると何年に自分と会ったかで評価が大きく変わるはずだ。

小学生時代くらいまでにあった人は明るさと暗さが同時に襲ってきた時代なので評価が割れそうだし、中学時代はいわゆる弱気な部分がヒューチャーされる気がするし、高校時代に出会った人のほとんどは暗い部分を評価するだろう、返って大学時代は、おおよそ後輩であれば明るさと強気さが芽生えた時代というか、あの人たちが言う自分らしさをアピールできる人というイメージを持っている可能性が高いだろう。

そもそも、アウトドア派かインドア派か。明るいか暗いかなどは、本当に人によって自分の評価が割れるようなきがしなくもない。

結局、自分らしさは他者が決めるものだと思うが、自分の行動によって周りから評価される自分らしさは変えることができる。だから、自分らしさは他者が決めるものであると同時に自分が決めるものであると思う。

 

つまり何が言いたいかっていうと、BBQがしたい。