早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

不良!差別コップの巻

おはようございます。
こんにちは。
もう、気にしませんよ。早起きでもなければ、30分でもない。いや、一応気を付けようとは思ってるんですけど、なんか気分が乗らないというか、個人的にはゆったり続けていくことが一番ということで好きな時間に好きなだけ書くという風にシフトしつつあるわけです。

今日書こうとしていることは、個人的には一番書くか悩んだ。こんなブログ読んでる人がいないという前提はありつつも、安易に口を出してはいけないような気がする分野だと感じるから。
ただ、それ以上にあまりにも違和感を感じる最近の流れをどこかで発散したいと思ったので、書かせて頂くことにした。

今、全米で大きな騒動となっているジョージフロイトさんが白人警官によって殺されてしまったことに端を発する黒人の方々のデモについてだ。
先に、前提というか自分の立場を示しておきたいのだが、自分は今回の事件(ジョージフロイトさんが殺されたそと)そのものは、非常に痛ましく許しがたいものであると考えていることを先に伝えておきます。
その上で、この事件を語るなかで感じた自分の疑問を書いていきたい。それは陰謀論者がお互いを蹴落とすために仕組まれたことなのではないかと考えているようなことでも、日本人なのだから日本の問題にもっと真剣になるべきだといったようなつまらない戯言とも違う。

誤解を厭わない言い方をするなら、差別の何がいけないのだろうか?
差別のない世界は、非常につまらないもののような気がしてならない。世の中は、差別で出来ている。
この意見が100%正しい意見ではないのは理解した上で、誰よりも誠実な意見だと自分は思っている。
黒人の方々は、今ジョージフロイトさんを殺してしまった白人とそれを組織する白人中心の組織を非難している。
これは、白人差別ではないのか?白人の中にも、ジョージフロイトさんを偲び悲しんでいる人がいるはずだ。
そして、例えばこの事件が、白人が白人に排他的感情を持つ黒人警官によって殺される事件であれば、今、声をあげている黒人達は、同様にこの警官に対して差別的だという声を挙げたのだろうか?もちろん、そういった人もいるだろうが、白人を殺したことを称賛する人さえいるのではないかと考えるほど世の流れは狂っている。
そうしたなかで、いや、僕や私は日本人だが、とてもこのような事件を許せないという人がいるだろう。
その人に問いたい。あなたは、学生時代にいじめをみたことがないのか?みたとしたら全て止めていたのか?大きなパイだから大きな問題だから便乗して声をあげる馬鹿が本当に人道上正しいのか?最も愚人ではないか?
いじめもまた、小さな差別だ。
それに、電車に乗るときに見かける身体的に不自由な人に、飲食店で出会って精神的な病の人にあなたがたは、一度も憐れみや蔑みの目でそれらの人を見たことはないのか?
もっと言うと50m走が遅いあの子や漢字テストが0点のあの子をあなたは、あなたと同じようにみることが出来ていたのか?
全部が全部小さくても差別なのではないか?
差別をなくそうってのはそういうことが出来て初めて言えることなんだと思う。

差別とは人生経験から得た様々な情報によって形成されるものだと思う。それっぽい服装をしたそれっぽい黒人は、声をかけられるのは仕方ないことなのではないか?もしそれを変えたいなら、そうならないように自分を変えていくべきだと思う。
ここで、皆は言う。変えたくても変えれないと。
そう。それが自分らしさというものだから。では、変えなくていいのではないか?ある程度受け入れるべきだ。それは、黒人だから、白人だから、アジア人だから、日本人だからとかではなく自分だから。

ただ、この事件はとても悪質だ。それは、一人の人間の命を理由もなく正しくない方法で奪ったからだ。そこに人種はない。黒人が殺されたではなく、ジョージフロイトさんが不当に国家によって殺されたということに対して抗議をあげるべきなのではないかと思う。

あと、良く知りもしねえで、ぬくぬくとしたところから、白人やアメリカを叩く奴もジョージフロイトさんを殺した警官と同じ糞しょうもないリベラル気取りの日本人差別主義者だから、自分はそういった人を差別したいと思う。