早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

八時!足引コレクトアンサーの巻

30分遅れは、許容範囲。
おはよう。
仕切り直し初日がこれなのは、ヤバイと言う感覚はある。

さて、なんのお話がいいかしら。
社会に出ると正解なんて一つじゃないみたいな言い回しってあるじゃないですか。まず、なんで社会に出るとなんだと、子供のときから正解なんて決まってないわというところもありつつ。でも、なんとなく言わんとしてることは分かるなあというとてもありきたりな話。

結局、あらゆる場面での正解って+100と-100の両極端の答えのどっちかというより0近辺であることが多い。
○○をするべきだ。という意見と○○をしないべきだ。という意見があるとしたら大抵の場合は、そのどちらを採用しても上手くいかない。
適切な対処は、△△ならば、○○をするべきだが、△△でないならば、○○はしないべきだ。というような条件付けをすることで正解に近いものが出る気がする。

それなのに、なんか自分に変な自信あるやつほど、振り切った意見ぶん投げてきて、自分がいかにも正解だというような態度で風を切って歩いてくる。分かると。あなたの意見が間違っているわけではない。だから、誰も否定はしないが、決してあなたが正解なわけではない。ある場合に置いては、正解というだけなのだ。それが普遍的な解答であるわけでわない。ただ、そういうヒトほど自分をカリスマかなんかと勘違いして異常に意見を押し付けてくる。そして、意思のない馬鹿は、それに押されてその意見を正解なんだと思い込んで生きていく。結果、その人の影響力が増してきて組織で優位にたつようになってしまう。ほんとしょうもない。

そんな頭でっかちな考え方で、いいわけないじゃん。もっと言うとこのブログを読んでいる人は、なんとなく分かると思うけど、極論ってのは、確実に主観的で全く客観性がない。あるとしたら、それは主観の客観で、あくまで客観だと思っているただの自分の意見なだけ。だから、極論を多用するような人間、その後の場合付けという処理をしない人間は、自分の意見を言える凄い人ではなくただの自意識ボーイだから大した人間じゃない。

結果、正解というのは、-100でも+100でもなくときに-10から30の間だったり、-8から2だったり0を起点としてどちらかに少し振るくらいが成功のことが多いよね。多分。
というお話。

だから、8時から30分遅れもまあ許容かなってことですよ。8時に起きるのが正しい訳じゃない。
いや、これだけは、8時起きが圧倒的に正しい。