なんとなく扉を見ると「閉」と書いていた。
閉まっていないように感じた。
門の中にオ。
口に出して言ってほしい「オ」。
どうだろうか?口が大きく開いていないだろうか。とても閉まっているような状態ではない。これがもし門の中にンだったら閉まっている感はある。妥協してイでもいい。オは一番ない。いや、一番ないのはアだ。でも、やっぱりオはおかしい。
そもそも門が消えて「オ」だけ残っているタイプの扉があったら、それが閉なのか「オープン」なのかは誰にも判断がつかない。これはもう令和の「このはし渡るべからず」状態だ。
ここで、一つ考えてみる。オじゃないんじゃないかと、これは手偏のやつなんじゃないかと、閉まるときに手で閉めるから手偏のやつだと。しかし、そうなると開けるのにも手は使うんじゃないかとなるわけで、どうやら手ではないらしい。
ちゃんと調べてみた。あれは才らしい。才は裁(断ち切る)から転じたらしい。で、才がいつの間にかオになったらしい。もう原型なんてありゃしない。
そう考えると、文字を簡略化したり、変えたりするのは昔からあることで、若者言葉に対して目くじら立てる爺どもは同時に閉まるという字も批判していることになるのではないだろうか。言葉って面白いね。
そんな文でこのブログを閉じてみる。