早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

努力よりも動力

おは。
眠気覚ましには少し体を動かすのはいいことだ。
昨日は、トップガンマーヴェリックを観た。これがまた素晴らしかった。それ以外に特段日記的な意味で書くことはない。
しいて言えば、少し仕事が仕事らしくなり始めてきたことを実感する。あくまで、今までと比べてだが、明らかにやっていることが一つ上の段階になってきているように思う。
これもひとえに努力をしたからだ。
と言いたいところだが、実際のところは努力はあまりしていないと思う。もっと言うと自分はこれまで努力というものをあまりしていない。
受験勉強もスポーツチャンバラもさして、自分が努力したという印象はないし、この仕事をしてからも努力はあまりしていない。
それでも、世間比である程度上の結果を出しているのは、とにかく動くということをしていたからだと思う。

例えば、受験勉強でいえば、高校時代、受験勉強を意識してから高校が開く時間に待ち構えるほど早く登校して、誰よりも早く勉強の場についた。そんなことをしたら時間を無駄にするわけにもいかないので、勉強をした。
チャンバラも、意味分かんないスポーツだなと思いながら、高校時代に何もしないのもなんだなと、家の近くの道場に自主的に行ったのが始まりで、それ以降もなんとなく行ってみるかというようななんとなく動くということが幸をそうしているように思える。それを詳しく書くと昼頃になる可能性があるので省略する。
今の仕事も奇跡の連続でここまで来ている自負があるが、そのすべてがいつもは行かないのに行ってみよなライブやイベント、食事きっかけで、仕事が続いている。
少しでもやってみたいことに近いものだったら行ってみるというのを大事なことだと思う。
たしかに、その中の8割は無駄だったと思う。たくさんの失敗したー!があるが、失敗したとて、まあまあ易々でしょうというくらいに済むものだと思う。それは、当たりを引くまで動き続けているのだから当たり前のことかもしれない。

努力なんてしなくても、とりあえず動けば、そこで新たに動かなきゃいけなくなるし、その動きに合わせてまた動かなきゃいけなくなる。人生そんなものだ。動いてる人間に新しい動きを求めたくなるものだ。
現状維持的な動きを否定するわけではないけれど、例えばどれだけフランス語を努力して勉強したとて、それを使う方向に動かなければ、その努力は無駄になるし、中途半端なフランス語の努力をして、フランス語を活かせる場に動いた奴の方が世間的には評価されるものだ。
自主的な努力よりも、他人から押し付けられた課題のほうが案外成長は早い。

結局、努力よりも動力。動いた者勝ち。
腹減った。
白米と何かたべる。
ばあい。