早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

糞塵!投稿ファッキンの巻!

おはようございます。

今日そもそも結構起きてからたってるのですが、とりあえず一呼吸したら、何かしらを書こうと思ってて、大筋書くことを決めてたんですけど、ちょっと書くことを変えようかなって思います。

というか、もうストレス発散以外の何物でもないです。

今さっき、ある俳優さんが自殺(?)したというニュースが流れまして、それ自体はとても悲しいニュースではあるし、悲しむべき人が悲しむニュースではあるのだろうと思います。

そして、自分の前提として、自分死に対して興味が薄いといいますか。自分が気にかけていない人がどうなっていてもそれはほぼ死んでいるようなものだと思ってる。だから、今回のニュースを見た時も、あーそっか。という感じでした。でもそれは、無関心とかではなく、なぜ死んだかがわからないからなんですよ。それは過去のテラハの出演者のようなSNSの誹謗中傷による心理的なものかもしれないし、何かしらの事件に巻き込まれて仕方なくなのかもしれないし、それは今のところ誰にも分らない。少なくとも自分はわからないわけじゃないですか。そんなものに対して、コメントするのは時期尚早ではないかと思うわけです。

それなのに、SNSでは「○○死亡マジか」「○○なんで?」とかそういうツイートで溢れかえってるわけです。なんだかそれがすごく気持ち悪く感じてしまって、ついついブログを書いてしまっているわけです。この気持ち悪さの原因は、直感的なものとすれば、お前今までその人についてツイートしてたか?ということだ。その人の大ファンで、いや、大ファンとは言わずとも、その人がドラマに出ていればチャンネルを変えないくらいでもいい、そういう人たちが今回の件を悲しむのは非常に理解できるし、それの放出先としてSNSを利用するのは自分がこのブログを書くのと同じようなものなので個人的には腑に落ちる。しかしながら、バカがただ流れてきたニュースに対して、ボケーっと言葉を吐くほど簡単な問題なのか?それがいったい何になるのかが分からない。人が死んだから注目するってのはあまりにも浅はかではないか?死ぬということは誰にだって出来るし、むしろいつかは誰だって死ぬ。そんなことを本当に注目するべきなのか?その前に彼がした様々な仕事の中でもっと注目するべき仕事があったはずだ。あの演技や彼の本などは素晴らしいものだった。それに対しては、日ごろ見向きもせず、無言を貫き通した人々が息を吸うのと同じように簡単な死ぬというこういとをした彼に対して注目をすることは非常に浅はかで気味が悪く自分には映った。本当にただそれだけの話。今後、判明していって、SNS上での批判によるものか?みたいになったときに、SNSでの批判をするのをやめようという人達にさきに言っておきたいのは、あなた達のそのツイートは批判をした人と同様に醜いツイートだということを自覚したほうがいい。

 

話がそれるかもしれないけれど、SNSでの批判が悪いという論調もあるが、それが本物の怒りの感情であれば、「○○マジか」の投稿よりはましだと思う。それは、投稿者が本当に誰かに伝えたい感情だから。嘘をつかずに、喜怒哀楽を真剣に表出し、各々の感情をしっかり考えて、SNS上に表明するべきだと思う。

 

そんな真剣にSNSやってねえしってことなんだろうな。本当にSNSに向いていないのは自分ということを理解しつつここで結びとさせていただきます。