早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

自己!他者バージョンの巻

おはようございます。

今日は、熱いです。夏です。東南アジアなのかというような雨と暑さが続きますね。

ちなみに室内の湿度は80パーセントを超えるとよくないらしいですよ。

 

さてさて昨日は、朝起きて映画観て、作業を少ししてから新宿に映画を観に行きました。『カセットテープダイアリー』。

○○ダイアリーだとモーターサイクルダイアリーが出てきてしまい既に2度書き直してたりしたりして。

まあ、内容はブルーススプリングスティーンの曲が一々いいという感想が残るだけで、歌を急に歌いだす系の映画が好きな方にはいいのかなという映画でした。映画は中身派、ストーリーを楽しみたい派なので普通でした。でも、自分で選んでみて違ったというのはずるいので批判はしない方がいいと思いますね。ええ。

 

このブログで何度も話した話を時間置いたしもう一度してみようかな。

といっても全く同じじゃないし今までのことをバージョンアップしたつもり。

自分の人間性を自分で評価するのはやめた方がいいということを思ったというお話。

例えば、自分は人見知りだとか、自分は陰キャだとかそういった評価は自分がするべきではない。もっと深く掘れば、自分は○○が嫌いだ、意見を変えない人間だ、芯がぶれない人間だとかそういったもののすべてを自分でするべきではない。

なぜなら、いざというときに変えれなくなるからだ。人見知りを脱却したいときに「でも私は人見知りだし」と思うとそれがつっかえて人に話に行けなくなる。自分で自分を評価することをやめれば話したいという自己の欲望に従って話しかけることができるようになる。これと同じで陰キャどうこうを自分で判断しなければ好きな時に好きなように自分を明るくふるまえる。自分で自分を評価することはただただ自分を縛るのと同義だ。

そしてもっといえば、自己評価は他者評価と異なっている。

というのは、割と言い尽くされてきているけれど、それ以上に他者それぞれでの自分に対する評価は違うのだろうと思う。

特に自分は、いつどこで出会ったかによって大分明るさだとか性格の評価が異なるだろう。それによく見るのが、明るくしている人にも本当は暗いんでしょとか言ったり、その逆に本当は明るいじゃんとか言ってその人を理解しているアピールをしてくる人もいるのだからそもそも他者評価というもの自体存在するかは怪しい。田中評、池田評みたいなものの個人的なその人の評は存在するのかもしれないが、大きくくくった他人評というものは存在しないような気がする。

 

結局何が言いたいかというと、自分の評価を自分でするくらいなら自分の好きなことをして他人にどう思われるかで判断してもらったほうがいいんじゃないかなって思ったよというお話。

久振!成功メソッドの巻

おはようございます。

お久しぶりです。

帰ってまいりました。

 

自分の行動と思考をメモしようというブログでございます。改めまして。

 

昨日の生活は、映画観て、会議して、溜まっているドラマを観ました。

パワプロ2020もやっています。弱小ペナントチームが5年目を終えてまだ100敗を脱していません。が、なんか高卒投手なのに、弾道4パワーDの選手が取れてホクホクです。

 

ホクホクと言えば、ほくほくおこめチャンネルも昨日「見ました。

https://www.youtube.com/channel/UCChtfMRiZY-1O7Ztyqqm0rw

ちょっとした休みのリフレッシュに使えます。ほぼ害のないたばこです。

ぜひご覧ください。

そして、今日こちらのチャンネルでも動画投稿が始まるようです。

https://www.youtube.com/channel/UCQkSSwWcczf68r1d409BkeA

なんだか、面白そうなのでご覧ください。

 

ここからは、たまったものを解消しようのコーナー。

成功者のメソッド的なやつが面倒くさい。俺はこうして成功したぜみたいなやつ。

複数分野で活躍されている方の成功方法というのは聞く気にもなるけれど、一つのそれもその輪が小さければ小さいほど、それは運でも多い。もしくは、そのパターンのみが正攻法だと信じている奴が多い。こんなのを長時間聞かされたところで何の意味もない。また、こういうのに限ってそ隣の分野でもえらいみたいな顔して、アドバイスみたいなことをしてくるが、そのことに関してはこっちの方が知ってっからみたいなこともしばしばだ。

でも、書けば書くほど思う。その人より上に立つためには圧倒的な上を示すものを創設しなければいけないのだろう。とりあえず自分を信じて色々挑戦していこう。そして、成功したときは他者に押し付けず、かと言って沈黙はしないみたいな理想の大人になりたい。

でもやっぱり間違いは間違いだしどうしていけば正解なのかは、36年後でも72年後でも分からないのだろうと思う。四苦八苦。

 

不倫!何故プロブレムの巻

どうもこんにちは、ブログを書きます。

雨続きで嫌になっちゃいますねほんと。

せっかく世の中が少しずつ外に出ていい雰囲気になってきているのに、天気はそれを許してくれませんね。

出来ることなら、緊急事態宣言と梅雨は同時に来てほしかったなんて思う日々。

でも、梅雨のせいで外出が出来ないことがかえって自粛に繋がってるのかもしれません。結局人間も自然には勝てないわけでございますわね。

 

先日、というか今もですが、ある芸人さんの不倫報道でやいのやいのと盛り上がっていたわけです。さすがに、不倫報道に飽きてきたのかこんなことを報道してる暇があったら○○の報道しろみたいなメディアへのバッシングもちらほらと。そんな批判もありながら結局放送を続けるということは、視聴率がいいということなのでしょう。それに関しては、他人の恋愛沙汰に興味を持てるほど余裕と暇があるんだなぁと思うだけなのですが、ここで不倫の度に思う疑問。

世の中の人ってそんなに浮気だとか不倫をするチャンスが生まれているものなのですか?世の中的には、不倫は失敬だ!下品!下劣!という意見が並びます。自分も恐らくそうなのだろうと思うけれど、実際に不倫や浮気に持ち込める選択肢を選ぶ状況になったことがないので果たして、自分はその際にどういう選択をとるのか正直分からないじゃないですか。なんだか語弊が生まれそうだけれど、恐らくしないし、逆に二人の人を思いやるのって面倒くさい感じがするのってということでそうはならないと思うけど。でも、そんなことは起きてないから分からない。だから、正直不倫報道をそもそも叩く気はないけど叩く気にならない。不倫報道を叩いている人って、不倫できるチャンスがあったのに拒否している人なのか、それとも、そんなチャンスもない人なのかでいうと、見ている感じは後者なきがする。

だから、結局妬み嫉みで、うらやましいから叩くってことなんじゃないかなと思うんですよ。だって、他に親戚だからとか近い人だからという以外で叩く理由がない。その人が不倫したところで世の男性女性全員が不倫したことにはならないんだから、そもそも関係性がなかった人たちの生活にはなんの影響も与えてないし、その男性が、画面に映ってたとしてこちらになんのダメージもないというか。何をもって汚いものみたいに扱うのだろうか。性交が汚いってんならわかるけど、結婚してる時点で一人とはしてるわけだしって考えると確かになにが悪いんだろうとは思う。今まで誰とも付き合わず結婚のみ許している人とかならなんとなくわかるけど。

とはいいつつも、浮気している人は、馬鹿だし気持ち悪いとは思う。ただそう思うだけで、悪い人だとは思わない。だからイメージが下がるのはなんとなくわかるので、そぐわない番組で降板とかCM中止とかは分かる。

けど、それに対して、年収がマイナス何億円になるとかいってキャッキャしているマスコミの人の方が人間的には、悪い人な気がする。

 

浮気が出来る状況になって断ることが出来たら自分も浮気を叩いてみよーっと

細菌!戦隊コロナマンの巻

おはようございます。

こんにちは。こんばんは。

時刻は恐らく9時くらいの更新でございます。

どうしましょうかね。

 

最近本当に、一定のサイクルを回している感は、拭えないのですよね。

変わるのはSNSに飛び込む文字列と映画の登場人物だけって感じで。

外に出るというのは案外、景色を本当に変えているのかもしれません。

個人的に言えば、もうコロナという病気自体を怖がる期間は終わったのではないかと思っております。未だ、感染は続いておりますが、この世界で感染が終わっている病というのは、やまほどあるわけですから。しかしながら、決して警戒を怠ってはならないのもまた事実ではありまして、その中で経済や生活に潜むコロナの影響について考えねばならないのかなと思ったりもするけど、何も分からないのでやはりコロナという病気を怖がるのを続けるしか我々にはないのかもしれません。

 

最近、外に出るとどうやら世間は夏を迎えたようで、ピーカンな陽射しとそれに晒されて光る若葉、深い青から薄い青へとグラデーションがかかった空などどれも綺麗です。ふと思ったのですが、東京で空を見て夏だと感じたことは今までなかった。これもコロナの影響で交通量が減り、排気ガスが少なくなった影響なのだろうか。それとも勘違いなのか。勘違いでなければ、あるいはコロナは地球にとっては救世主なのかもしれない。

本当の敵は人間だったみたいな。そういう感じなんでしょうか。

もしも、そうであるならば直ちに人間は、気持ちを改めてコロナと共存し、地球を守らなければいけませんね。その地球を破壊しているのが人間ですから果たして人間が善になった場合誰と戦うのかという問題になってくるのですが。

やはり、人間を倒したコロナは、スーパーコロナとなって遠い宇宙の銀河系のもっと免疫力が強いやつのところに戦いにいくのだろうか・・・?

 

コロナの戦いは終わらない!頑張れコロナ!負けるなコロナ!

惑星のみんながお前の助けを待っているぞ!!

最強!領域リクチャンの巻

お早うございます。
やっぱり朝に書くからこそのブログですよね。
わかります。

とは、言うもののじゃあ何を書くのかというと定まらない現状がありまして、やっぱり早起きしてかくものではないかもしれない。

あ!今、Huluにて配信されているNIZIprojectをご存知でしょうか?世界的アーティストのjypことパクジニョンさんがプロデューサーとなって日本人だけのガールズグループを作ろうというこの番組。
jypというのは、日本でいうと小室哲哉みたいな感じかな?twiceなども手かげたプロデューサーとしても優秀な方です。
そんなこの番組、jypさんの常に褒めようというスタンスや決してその人自体を貶さないスタイル。実力あるのになんで努力しないの?というスタイルで候補生に接する姿とかがとてもいいので見て欲しいというのもありつつ。

ここからが本題。そんなオーディション番組の中で一人の候補生にドはまりしてしまったのです。それが大江梨久ことリクちゃん。まず、もう名前がいいよねなんか。そして、顔がいいのよ!吸い込まれるような目とちょっとプニッとしてる感じ?それがいわゆるあんまり可愛くないって言われそうなところでもあるんだけどそれもまたいい。なによりも、性格がいいよね。周りの人の演技に真剣に感動したり、他人の合格に本気で泣いたり、そして、負けず嫌いなところ。人生を必死で走ってる感じがとてもいい。どんくらいハマってるかというと一日に三回は、その子のパフォーマンスをみないと禁断症状がでるレベル。

あ、なるほど今日はたまにあるキモキモ回かと思っていたでしょう。
ここから真面目回です。
それで、今までの自分がこんなに女性アイドル?にはまったことがなかったんですよ。
何でかなあーって思ったら、ここ一年くらいより前は人生で常に明確な好きな人というのが近くにいたからではないかという結論になったのです。
要は、脳が本能的に『やばい、この人好きという感情を忘れる』と思って、アイドルに興味を持たせたのではないかと思うのです。
こういうことを言うと、アイドルを恋愛視するな!推しは推しだ!というような人がいますが、そんなことは分かっているし、近くにいる人との好きとは違うことを理解しつつも使っている脳の領域が同じ感じ?それを分かってないなら、逆にそうはいいつつあなたが恋愛視してるんじゃない?ということです。
というように、自分みたいな人は、いや、自分だけかもしれませんが、アイドルを架空恋愛委託業者として捉えているんだなーと理解しました。
あとは、そこそこハマるっていうくらいの人は、人間的に好きっていうパターンもありそうです。でも、人間的に好きじゃないと恋愛的な好きにもならないし、うーん、といった感じです!

ごちゃつきましたが、結局、自分が言いたいのは、
リクちゃんかわいい!最強!!!ピエーー!!!!
キモキモ回でした。

平凡!社会はクスリ―の巻

おはようございます。

いいえ、おはようではないですね。

今日は何とかなるはずだったのに。

 

いつの間にか、6月になっているのですね。

外出が自粛になっている分、普段とイベントだったり、お出かけだったり、人との出会いのペースが変動しているために季節を感じにくくなっていますね。

人が季節を感じるのは気温ではなく、人との関わり方なのかもしれませんね。

 

どうやっても結局は、コロナ騒動についてという話に繋がりそうでなんだかどうしたものかとブログを書いているのですが。

ところで皆さんは、オルダスハクスリーの「素晴らしい新世界」を知っているでしょうか。かんたんなあらすじとしましては、遠い未来に皆が、機械技術の発展により繁栄を享受し、作られた平等の幸せを感じる世界。そして、負の感情を少しでも感じたらソーマといういわゆる無害なドラッグ?お酒?みたいなものを服用する世界。つまり、この世界では、悩んだり苦しんだりすることは悪とされている。そんな世界に、この社会秩序から逸脱したもうひとつの社会、作品内では蛮人保護区と呼ばれる社会、からこの管理社会にやってきた主人公一体どうなる!?みたいな話なのですが。

 

なんというか。世間がこの世界になりそうで少し怖いなって。今流行の傷つけない笑い。ちょっと前だと、岡村さんの風俗発言のように場を和ませようとする発言が言葉の凶器になってしまったというようなことが増えていますよね。でもこれって昔から、この凶器は何度も出していた凶器なんですよね。これは、岡村さんがではなくて世間の人みんなが。ただ、月並みにいえばSNSの普及でその武器が今までナイフだったものが弓矢となり拳銃となり遠距離に発射されるようになってしまった。今まではナイフや剣をその扱いに理解のある方々だけで剣舞をして遊んでいたのに、いつの間にかそのナイフの先端がすっぽ抜けるように改造されていて誰かに刺さってしまう感じ?

まあ、そこまでは発言者側がしっかりSNSという武器を整備して安全にしようしなかったことが悪いと思うんですよ。ただ、ですね最近、やっかいだなぁと思うのは、自分から被害者になりに行く人。こっちが、剣をみせてっていうから少し鞘から剣を抜いたらその刃先に向かった自ら刺されにいってるのに自分が刺された!!って主張してくるみたいな。そして挙句の果てには、剣を他のところに向けてるのに、わざわざ自分側に引き寄せて刺されにいくみたいな。

こんなことなったらもう、ナイフは作れないですよ。でも、ナイフがないと美味しい料理は食べれないし、家を建てることもできない。だけど、だれかが苦しむくらいならナイフを使わないようにしようっていう風潮。本当にその世界は楽しいのだろうか。

 

ここからは、先ほどまでと若干違うかもしれないけど、人生苦しいことがなかったら楽しくないですよ。負ける可能性が0のスポーツ。フラれる可能性が0の恋愛。100点が必ず取れるテスト、その他人生に多くあらわれる結果次第で天国と地獄な出来事の数々。自分は、その多くが地獄の方を味わってきた方だと思います。でも、ときたまにある天国は、その地獄あってこその天国。地獄がない天国は、ただの日常。それは自分たちがハンバーガーを何の感情もなく食べている傍ら出所者がそれを食べたときに幸福感を得るのと同じ。

 

人間が幸福感を得るのは、その逆側の側面である不幸を知っているから。だから、生まれながらにして恋人がいる人がいないことで、恋愛というのは世間全体で幸福なものとされているのだと思う。

不幸を取り除いた先にあるのは幸福ではなく、平凡。

平凡な社会にはならないことを願うばかり。