早起き30分一本勝負

目が覚めてから30分で記す驚天動地なブログ

pro

個人的な話で言うと、お金を取るという行為に実は否定的でなかったりする。

それを買う人がいるなら100万円で売ればいい。世の中そうやって回っている。

そして、しっかりと買い手がいることはそれが他の人から買い手が騙されてると思われたとしても、法律の範囲内で許されている範囲なら素晴らしいことで少しだけ尊敬されるべきなんじゃないかとも思ったりしている。

 

しかし、ここがこんな時間になってまで書きたいところだが、現状満足するほど買う側がいないのが事実だと認識している(ここが間違ってたら今回の話はなし)。

 

自分が一番どうしても許せないのは「スポチャンするためのお金をスポチャンで賄えたらスポーツチャンバラのプロ」という考え方だ。つまり「○○のためのお金を○○で賄えたら○○のプロ」というプロという概念を舐め腐ってるのが嫌というか、もう言っちゃうけど、腹立つ。

あんまりプロという言葉をなめんなよ。と。職業柄自分の周りにはプロを目指す人がたくさんいる。その中に一人も「○○のためのお金を○○で賄えたらプロ」という概念の人は、一人もいない。

正直言うと、自分もプロになりたい内の一人だと言ってもいいかもしれない。いや、やっぱり、自分の職業にプロつけるのはダサすぎるからなし。ん~でも。まあ、ここはどうでもいいところだ。

話があっちらこっちら行ったが何が言いたいかと言うと、自分を含めと敢えて言うが、

「生活のための金を○○で賄えたら○○のプロ」が最低限プロと言えるラインで、もっというとこれでもプロっていうのは何だかどうかねみたいな雰囲気すらある。自分の中でそれほどプロと言う言葉は重みがあって、重要で崇高なもので、それをまだ何も成しえていない人が簡単に自分自身に付けて欲しくないというただのワガママをここで吐き出させってもらった。

だってこの理論で言えば、自分は「外でうんこするためのお金(0円)を外でうんこすること(0円)で賄えてるので外でうんこプロ」だし、なんなら、「今年のスポチャンに使ったお金(500円)をスポチャンで賄えてる(大会の商品で500円分の商品券もらった)ので俺もプロ」ということになってしまう。

実際問題は、ここまで深く考えてプロを使ってないというのも分かっちゃいるけど、なんだかモヤモヤしていたし、この気持ちを吐き出さないと、深夜過ぎて早朝にさしせまっている時間まで、プロ目指してやってるこっちの行動が報われないじゃないか、そのくらいのエゴは持たして下さいよ。

 

ただ、実際に「生活費がスポチャンで賄えるようになって」プロになった時には、好き嫌いはその時にならない分からないけど凄く尊敬すると思う。せっかくやるなら大きな夢を持った方がいいなんていう痛い目線を正直持っているのが自分だったりするので。

ただ、そんな夢掲げてんなら、近場の小銭より見たことのないお宝拾いに行く努力をした方がかっこいいと思う。でも、これも結局自分の意見でしかないのよね。

 

うん、やっぱり自分もまだプロじゃない。自己を奮い立たせるためにも、痛いのは承知で、プロじゃないのにプロと見栄を張るより、自分の部をわきまえてプロを目指すことの方がカッコいいんじゃないかって思うねぇ!

 

これ読んだ奴、何読んでんだよ。読んでんじゃねえよ殺されろよ。矛盾。

喉痛い。

喉痛い。

喉が単体で痛い。

人生で初めて喉が単体で痛い。

コロナとかで複合的に痛い事はあったけど、喉が単体で痛い。

コロナとかの方が今より痛みが強かったけど、それは複合的に痛い事だったけど、今は喉が単体で痛い。

コロナとかの方が今より痛みが強かったし複合的に痛いけど、今は喉が単体で痛いんですが、のど飴舐めていれば平気。

コロナとかの方が今より痛みが強かったし複合的に痛いけど、今は喉が単体で痛いんですが、龍角散のど飴舐めていれば平気。

コロナとかの方が今より痛みが強かったし複合的に痛いけど、今は喉が単体で痛いんですが、龍角散のど飴の味は苦手だけど、舐めていれば平気。

コロナとかの方が今より痛みが強かったし複合的に痛いけど、今は喉が単体で痛いんですが、龍角散のど飴の味は苦手だけど1日舐めてれば味も平気。

コロナとかの方が今より痛みが強かったし複合的に痛いけど、今は喉が単体で痛いんですが、龍角散のど飴の味は苦手だけど1日舐めてれば味も平気でも、ハチミツのど飴の方がおいしい。

コロナとかの方が今より痛みが強かったし複合的に痛いけど、今は喉が単体で痛いんですが、龍角散のど飴の味は苦手だけど1日舐めてれば味も平気でも、ハチミツのど飴の方がおいしいけど腑抜けたパッケージだから効力はなさそう。

コロナとかの方が今より痛みが強かったし複合的に痛いけど、今は喉が単体で痛いんですが、龍角散のど飴の味は苦手だけど1日舐めてれば味も平気でも、ハチミツのど飴の方がおいしいけど腑抜けたパッケージだから効力はなさそうな感じするけど、少し楽になる。

コロナとかの方が今より痛みが強かったし複合的に痛いけど、今は喉が単体で痛いんですが、龍角散のど飴の味は苦手だけど1日舐めてれば味も平気でも、ハチミツのど飴の方がおいしいけど腑抜けたパッケージだから効力はなさそうな感じするけど、少し楽になるけど、これを口で発声すると咳が出る。

コロナとかの方が今より痛みが強かったし複合的に痛いけど、今は喉が単体で痛いんですが、龍角散のど飴の味は苦手だけど1日舐めてれば味も平気でも、ハチミツのど飴の方がおいしいけど腑抜けたパッケージだから効力はなさそうな感じするけど、少し楽になるけど、これを口で発声すると咳が出るし、痰も出る。

終わり。

 

2024年楽しかった映画ランキング!

1位「ヘルタースケルター

2位「エクスペンダブルズ ニューブラッド」

今年、映画館初映画は馬鹿らしいのを観ようと思って観に行った!

結果的に言うと、馬鹿らしいアクション!いい意味で!だったけど、それに加えてスタローン系映画比でいうとわりと凝られた脚本だったのもよかった!!個人的にはエクスペンダブルズ史上一番面白かった!出演キャストが小粒になったぶんストーリーでカバーした感じが見えたり!脳死!脳ストップで観れたのが楽しかった!

金持ちになりたいが、金持ちの特有のダサい雰囲気は纏いたくないし、知識を増やしたいけど知識人特有のダサい雰囲気は纏いたくない話。

また書いてみたくなった。

たいした需要がないのは分かり切っているけれど、何かやりたいこと脳内をまとめる作業が自分には重要になりそうな1年だと思ったのでブログを再開することにする。

去年やっときゃよかったこととしてみた映画とかドラマの感想を書くことがある。自分は、変にひねくれたところがあるせいか、評論だとか考察の類を見るのが、他人のふんどしで自分のセンスをアピールしているようで気持ち悪く感じる。他人がやる分には、いいのだが、自分がするのには気が引ける行為だったが、いざ、今年観て楽しかった作品を思い出す時に観た直後ほどパァンと幸福感を思い出せなくなっているのがなんだかもったいない気がしたので、観て、体験して楽しかったことをしっかりあくまで「自分のためのメモだし!」と自意識を封印して書いていきたいと思う。

 

その結果このブログを読んだ人が、少しでも影響を受けて映画とか観てくれたら嬉しいなとは思うのが隠しきれない本音である。

そんな、本音もたくさん書きたい!

 

それで言うと、今年は、お金持ちになりたい!みたいなことを唐突に思った一年のスタートだった。これといったきっかけはないけれど思った。けど、お金持ち特有のダサい雰囲気は纏いたくない。社会の情勢とか昔の歴史とかたくさん知りたい!とも思った。けど、、知識を増やしたいけど知識人特有のダサい雰囲気は纏いたくない。

なんなんだろうかあのダサい雰囲気の正体は。

恐らく僕が思うに、隠しきれない自己評価の低さが原因だと思う。金持ちも知識人も生まれ持っての人にその雰囲気がある人は少ない。その一方で、後乗せ金持ちや後乗せ知識人は、元は違ったという劣等感から金持ちアピールや知識アピールをしないようにしている人でも漏れ出てしまうものなんじゃないだろうか。そうなると、やはり生まれ持った負け犬なことを認めるのは重要なことなのではないか。天然強者たちには自分たち一般人は、生まれ持って負けている。唯一勝っているのは負け数くらいなのだから、自分たち凡人一般人は、何回「負けました!」と正直に言えるかで、人生上手くいくか変わってくるのかもしれない!

2024年楽しかった映画ランキング!

1位「ヘルタースケルター

蜷川実花さんの作品を2023観て、最後に残してたのがこの作品!一番好きだった。正直蜷川実花さんの作品って個人的には、美しいセンスを魅せ付けるだけ魅せ付ける映像美に振り切りすぎてて内容が微妙みたいなのが今までだったんだけど、ヘルタースケルターはストーリーも分かりやすくて最高だった。適度にバイオレンスと美で飽きさせることなくテンポのよさも良い!こういう天才的な感覚の人が見ている側に最大限に寄り添っている系のファンには物足りないかもしれないけど…みたいな作品が大好き!

そして、整形して最高の美形になったという設定に全く違和感のないほどの完璧な顔の沢尻エリカとその立場を脅かす後輩の水原希子の演技と顔面の素晴らしさも感じた。

 

熱帯雨

おは。
ねみぃ。
今日はいい眠り加減たった。

昨日は、すごい雨だった。バケツをひっくり返したようなという言葉が似合うほどの雨だった。
東京には、梅雨というものがある。どうやらそれに入ったらしい。毎年この季節に思うのだが、去年ってそんなに雨降ってたっけ?
梅雨自体はなんとなくあった気がするのだが、そんな梅雨梅雨いうほど雨が降っているイメージがない。
自分が東京にきて8年位になるがとりわけ梅雨をそんな意識したことがない。もしかしたら、実は梅雨というのは雰囲気で実際のところはそんなに他の季節と変わらないのではないだろうか?
むしろ10月とかのほうが雨が多い気がする。
ほら!やっぱり!アマゾンのマークは、ただの矢印なのに笑顔に見えるのってすごい!

のように、スクショの画像を見たときに、本題ではなく、充電が少ないことや何の通知?というアイコンが気になることは人間の性というものだろうか?
いや、そこじゃないのよ!という安易なツッコミを引き出すためだけのこの作業が楽しい。
ちなみに、このアマゾンの通知は、最近自転車にスマホつけるやつが壊れたので新しいのを頼んで届くよーというやつだ。
もっと言うと、一回頼んだけどホイールの太さが合わずに使えないやつ買ってしまって、買い直しのやつだ。正に安物買いの銭失いというところだ。

よし、目が覚めてきたので終わり!
ばあい!

他人愛にみせかけた自己愛

うげえ。
頭痛いぜ。関節痛いぜ。

最近というか、わりと自分は相談ということをされる類の人間だと思う。これは、ある程度信頼されてると思うと嬉しい限りなのだが、その一方で、自分がそこまでの人間じゃないというところがある。
というよりも、人より圧倒的に経験するべきことを経験してきていない。受験、就職を筆頭に日常的に通るだろうことを何故かスルーしている傾向にあるので、相談されるとそんなことが起きるのかと驚き、相手には悪いが少し面白く感じてしまう。
相談をちゃんと真摯に対応しようと心掛けているが、どこかで人のためになることをしている自分というので気持ちよくなっているのではないかという疑惑を自分に向けてしまう。
結局のところ、人のために何かをするときは、それをする自分が好きというところが少なからずあるはずだ。昔ならこれを良しとしなかったが、今は、そんな偽善でも人のためになるならやるかというところがある。

でも、他人のためにを利用して自己満足感を得ようとしているのを他人に感じてしまった場合は、2022年現在では、その行動に嫌悪して、加らないというスタンスを取ろうと思いました。

具体的なことがあったけど、具体的には諸事情で書けなくってまとまりがなくなった回。

2才児と大人

おはよ。
がー、やってしまった。
ねむてー。

昨日は久しぶりに姉に会いに行ったよ。
うちの姉は、結婚もしてもうすぐ3歳になる子供もいる。
ちゃんと聞いたことある大企業に勤めているし、20代にしては大きい家に住んでいる。
まじで誰が見ても幸せそうだと思う。
もしかしたら、自分にもこういう人生があったと考えると今の生活にゾッとする。

そんなことより、子供の前での大人が面白くなさすぎる。あれはもう仕方のないことなんだろうけど、子供が何でも笑うから普段ボケないような親たちがボケまくる。それもこちらが恥ずかしくなるようなゾクゾクするような感じでボケまくる。
お前いつもそんなんじゃないじゃんと思わず言いたくなる。と同時にこういうときに自分が場に合わせてボケまくるみたいなのをできないのが実は一番恥ずかしい。26にもなって未だに笑いに対して尖って、そんなことはしたくないみたいな女子供に媚びないスタイルの笑いを追い求めると思い込んでるような自分の動き方が一番ダサい。
それは分かってるんだけど、なんか何しても笑ってくれる生物にここぞと笑わせようとするのはやっぱりなんか違うと思う。
それは、自分は笑わせようとしてると思ってるけど、実はいつも笑ってもらえないから笑ってもらおうとしてるんじゃないかなんて邪推をしてしまう。

人のためにやってる風の自己満ムーブはあんまりしたくない。
こんど子供とあったときは、笑っていただいてもいいかお伺いをたててからボケれたらいいなと思う。
あと、今日絶対雨降る。頭痛い。

ブログはストレス解消

おは。
すっかり夏の装いですね。
昨日はお休みしたもののここ何日かはブログを書き続けているわけなのだが、そうすると何か書きたいことあるかなと思って生活すると色んなことが気になり始める。
それは、果たして精神衛生上よろしいのだろうか。
元々は、モヤッとしたことのストレス発散のためにやっている側面があったのにいまやストレスを貰いに行ってるようなことになっている。それは、あまり良くない気がするので、もっと気楽な感じの回を多めにしようかなと思う。
あくまで日記として、自分が読み返したくなるものを目標にしていきたい。

そういうことで言うと、本当に今年が勝負のかけ時なので日常生活がわりと仕事的なことが多くなる。仕事の深い内容を書くのはなんか嫌なので、そうすると書けることは少ない気がするが、ぼちぼちやっていこうと思う。

ほぼ唯一の趣味が映画鑑賞なのだが、多分映画熱が再燃してから3年位で1000本近く観ている。
そうすると分かってくることがある。映画の面白さはわりと自分の体調次第のところがある。もっと言うと体調が悪いといい映画もあれば、体調がいいといい映画もある。
だから、結局面白さというのはかなり曖昧なところにあるのだと思う。だからこそ、面白さをより分かりやすく自分の武器たりえるものを明確に提示する技術を身につけることで人に届くものになり得ると思う。
それを身につけるのは前回の通り動力をもって動くことだという持論かあるのでもう少し足掻いてみようとおもう。